日いずる国の経・七から紐解く艮の金神

 

紐ときについて

 

 前回のあとがきを終えて、今回の記事以降から少しの間、日いずる国の経に表現された神の型の紐解きに入ります。紐解きと言っても時に抽象的な表現を用いりながらビジョンに隠された事柄を違う角度から照らしてみたいと思います。

 この後の紐解きの記事には、経典や聖典、預言書からの引用が出てきますので以前より少々難解に感じるかもしれません。

 知識を増すことは時としてその本質を見失うという言うこともあり、私の知るところでは、読者の方が「日いずる国の経」1~Θ(シータ)まで目を通されればそれで十分なところはあるのですが、個々のもつ気質として、より多角的に分析することを必要とされる読者の方はこのまま下にお進みください。

 

 。。。 。。。。。 。。。。。。。 。。。 。。。。。 。。。。。。。 。。

 

 

紐解き 1

日いずる国の経・七から見る艮の金神

 

 艮の金神とは鬼門である北東に、坤の金神は裏鬼門である南西の方角にあり、この両金神について、生涯にわたりとても御苦労を多くなさった半面で後世に大きな靈的遺産を残された、出口なお氏を開祖とする大本教では、艮の金神とは鬼門に封じられた国常立尊であるという大本神輸が降ろされています。

 鬼門とは、日いずる国の経・七の四章に描写されている、無数の喜びに満ちた生命が私の胸の目前右側から刹那に生まれ出て、楕円の起動の中で背後を過ぎ去った後に見失う場所が北東となり、その場所は苦悩と死に入れ替わる所であったため忌み嫌われた鬼門と成って、反対側の左背後からは苦悶を浮かべて刹那に死に流れ、私の左目前に戻って消える所が裏鬼門のビジョンの源として、その概念は私たちの記憶の深層にある集合意識から特殊な方角として印象づけられて世に写し伝えられています。

 そして日いずる国の経・七の四章で部屋の北東の方角に映し出された高山の二人の阿吽の呼吸をあわせた聖人とは、鬼門と裏鬼門の主を暗示されており、実際に私自身がその力に恐れを抱き、神を追い払ったようにするという「型」をその当時には、無自覚に演じる事によって後に自ら理解する必要があったのでした。

 しかしこの陰陽二極のビジョンは、道教のタオ(道)のように意識の揺らぎ以前にはまだ認知されておらず、その揺らぎ以降も出口王仁三郎氏の国常立尊の三十五万年前の御隠退という経綸に観られる神代までは、神々の世界には生死や善悪の分離的な観念はほとんど芽生えていませんでした。

 この三十五万年前、35と言う数は数靈としてシャンバラ国土が展開される数的宇宙曼荼羅の初期の一神代として示されています。

 また、別の角度で引き出してみれば旧約聖書の預言書である、ダニエル書の12章にはその逆説的視点として

「常供の燔祭が取り除かれ、荒す憎むべきものが立てられる時から、『千二百九十日』が定められている。待っていて『千三百三十五日』に至る者はさいわいです。」

 と言うダニエル書の北の王と南の王の非常に長い争いの終着点として現れるこの終末のビジョンは、三十五万年前の国常立尊の御隠退の時代にも似た、数靈に示された暗示的な原理が隠れているとも言えます。

 この紐解きから千三百三十五と言う数は、古事記に記された天地開闢の側から照らし合わせると、別天津神の造化三神と宇麻志阿斯訶備比古遅神と天之常立神を含む五柱の神代を強固に、その後の神世七代の末までは分離のない独神の威光の恩寵に与っていた神代を示唆している事が観えてきます。

 5という数は東洋では梅や桜の花、西洋ではアーモンドの花にみる五枚の花弁や牛に象徴され、言靈として観れば三五=産後のようなあたらしい命のように無垢な心の領域と言えるのかもしれません。

 この五つに表される浄化された境涯を大乗仏教思想に言い換えれば、不浄を離れた不還果以上の心が住む、浄居天または、五浄居天とも表現されています。不還果とは仏教哲学では四向四果『もう戻ることのない』こころの景色ですがこれについては、日いずる国の経・九の六章にある「もう戻れない」という言葉に紐付いて十地第六地からの法雲地と共に後の記事で少し触れたいと思います。

 そして補足として、ダニエル書にある『千二百九十日』の喩えは二つの陰陽、北の王と南の王を象徴する勾玉、6・9の動力によって因果が顕われて、日いずる国の経・七で示されたように、日本の磐座信仰の根本である、銀河の環を廻る塵のような石に自らの心を投影させて感じ取る事のできる、私たちの生きる物質世界、車輪のなかで流転する輪廻の六つの世界は、心の顕れとして地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道の果てしなく続く時の輪を示唆しています。

「待っていて千三百三十五日に至る者はさいわいです」と言うその言葉は、気づきによって終わりの時に輪廻の内にある原因と結果の世界からほとんど離れつつある浄土、約束の場所を示していることを、私は日いずる国の経・七の時に知ったのでした。

                                   

                                    つづく

                               

 

jyoururikou.hatenablog.com

 

ランキング参加しています。よろしければクリックお願いします

  

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村 

哲学・思想ランキング
哲学・思想ランキング