日いずる国の経 Θ

この記事について

2009年と2016年に著者が体験した中有(冥府)の世界での出来事。宇宙と子宮の神秘に隠された死と再生の体験を記していきます。09年、16年に私が観たこの2つのビジョンは異なった視点で表現されますが、それらは全く同質の事柄になります。この記録を通じて読者の方に何か伝わるものがあれば幸いです。

 

 

第八章

成満

 

 翌日になって、兄があと二日ほど念のために私の家に留まり、母と弟は仕事があるため東京に戻ることになりました。
 念のため、というのは私にはこのとき気になる事があり、自身の左腕付近に、時折黒い靄なようなものが映りこんで、その気配と同時に衝動的で瞬発的な殺意が浮かぶというもので、その殺意は当時4歳の娘に向いていたため、私はこのことに懸念して極力娘と距離を置き別室で過ごしていました。
 
 そして介護の仕事はこの時あまりの情報量と精神的な消耗、何より極めて神聖な期間だという理解があったので、やむを得ず仕事は少しの間休暇をもらうことにしました。
 私はこの期間食事をほとんど食べることが無くなり、口にしたとしても肉類は顕著に自然な拒否反応があり受け付けず、食べられるものは野菜や雑炊のようなものでした。
 そして垢離で自身の不浄を流すように、一日に何度も身体を洗い流しに行くように浴室にむかったのです。
 
 そして2016年の12月14日、別室で籠るように過ごすその部屋で、自分の娘に突発的な殺意が顕れる事に悲しみを感じ、そのことを思いながら部屋に飾っていた娘の写真を眺めました。

 その写真には子供の名前の由来を親が書き記し、写真を貼ったものを保育園で飾っていたものでしたが、このときの娘の表情は嬉しいのか、淋しいのか、そのどちらでもないのか、なんとも微妙な表情のその姿を見ながら私はあのときの、胸の目前から娘の姿を仮にとった数えきれないほどの生命の生滅が頭に浮かんできました。
 
 私はその命の呼吸のことを思っていると、弘法大師の説いた「生れ生れ生れて生の始めに暗く 死に死に死んで死の終りに冥し」という言葉が浮かんできたのです。
 
 なぜ私はあのとき左側の死を反射的に受け入れられなかったのか、自分の好むものだけを望んで、喜びだけを歓迎し、なぜ悲しみを退けるのか、世界は世界である以上、ただ来ては去っていくのが道理で、来るものも去るものも、喜びも悲しみも、生も死も、本来一つの環であるのにどうして比べるのだろうか。
 
 私は紫色の帽子を被った、その甘くほろ苦そうな微笑みを浮かべる瑠璃の写真を眺めながら、そんな思いが心に起こって、私は泡のような想いが芽生える泡の出どころを、あの命の輪を司る至高の神の御許でしばらく静かに観つづけていると、次第に左側に感じていた靄と殺気はゆっくりと消えていったのでした。
 
 想いを生み出す心は、そのゆらぎを祈りの思いによって鎮めて、心によって心そのものを越えていくように、自身の只中にある至高の神の足跡が示した、あの真っ白な無記の紙のような光景の中にわたしは溶け込んでいったのでした。
 
 
そしてこの日の夜、空を見上げると雲一つない夜空の中に大きく浮かび上がる満月の輝きをみて、わたしは晴れて諸々の神仏に深く合掌礼拝したのです。
 

 


 

 

 

〇 〇

 

神仏の

 

慈悲深い愛情により

 

配された地の星々は

 

天上にある

 

自らの門前

 

浄めの泉に照らされる

 

 

二種の勾玉 愛津とし

 

四方八方から呼び集め

 

輝ける約束である神の園

 

不二の国土にあって

 

三千大千世界

 

一度に開く梅の花

 

神は民と共にあり

 

民は神の友になり

 

 

一成るすべてを成就する

 

 

 

 

 

 

 

 

ランキング参加しています。よろしければクリックお願いします

  

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村 

哲学・思想ランキング
哲学・思想ランキング