この記事について
2009年と2016年に著者が体験した中有(冥府)の世界での出来事。宇宙と子宮の神秘に隠された死と再生の体験を記していきます。09年、16年に私が観たこの2つのビジョンは異なった視点で表現されますが、それらは全く同質の事柄になります。この記録を通じて読者の方に何か伝わるものがあれば幸いです。
第六章
命の水
やっとの思いで家に帰ると、普段と変わらない光景がありました。
妻がいて、娘がいる。
私がテーブルに座ると娘が朝、庭で摘んできた小さな花束をくれまた。
私は長らく切迫していたのでこの時、気がほころび嬉しくなって少しの時間この花を眺めていたのですが、そうしていると再び小さな太鼓の音が聞こえ始め、腹に留まっている龍が動き始めて身体が震え始めたのですが、この龍をよく観てみると私同様に耐え忍んでいるかのようでした。
私は震えをこらえながら妻に水を持ってくるようお願いをして、テーブルの上には妻が持ってきてくれた、小さな瑠璃色の霧ガラスのコップに入った水と、娘のくれた花束を見て、私はなぜだか準備が整ったような気持ちになったのです。
そしてその水を飲んだとたんに震えを抑えきれなくなり丹田が大きく震えはじめ、私には世の全ての深い悲しみと、苦悩の想いが浮かび上がってくるように私の目からは涙があふれ、流れました。
「もう戻れない」
という言葉が内に響き渡り、巨大な龍は下腹部で激しく動き始めると、私には沢山の司祭の様な者たちが様々な時代で姿を変え、皆耐え忍びながら何かの約束事を交わし神事を行ってるビジョンが観えていました。
その風景が映る中で太鼓の音と共に、巨大な龍はついに大きな振動と共に登り上がり、私の頭頂を突き抜けさらに上昇していきましたが、やがて龍は上空で火花が燃え移るように四方八方に「米」の字の如く散り広がり、その火花は儚くも美しい花々となって私の頭上からひらひらと降り注いできたのです。
冥府の主 マハーカーラの深淵
私は自分の意思を越えたところで兄弟と母を東京から無理を承知で伊豆まで来てもらうように妻を通じてお願いしました。
妻を通じてというのはこのとき宇宙を司るあの至高の神が、すでに不動の荒神の形をとって私の内に共にあり、本来なら私から母や兄弟に連絡を入れるのが道理ですが、このとき私はペンを持って文書を書くことも、自ら電話をかけることもこの体には出来なくなっており、代筆などの代理を挟んだやり方で繋ぐという方法をとるしかありませんでした。
私はこの期間、この世との繋がりをほとんど断ち切れていたようで、肉体を用い行為することで繋がる外部との接点を図れなくなっているかの様でした。
兄弟への突然の言伝でしたが、私の口を通じて兄弟に解る範囲の言葉として妻に、観自在(Lokeśvararāja )からの命であると伝えるよう頼んでいたのです。(実際には大自在天)
兄弟は7年前の事もあったので何かを感じとり、仕事のある中でも急遽母と共に私の家に向かってくれました。
そして夕方近くには到着出来そうだという連絡が入り、時間が近くなると妻は娘を連れて駅まで車で迎えに行ってくれたのでした。
二人が家から出て間もなくすると、なんとも言えぬような刺すような不穏な雰囲気が立ち込め、同時に私はあるビジョンの中に入っていきました。
それは意識のない妻と娘が、我が家から救急搬送されて行くのをただ茫然と私が眺めている・・・そして場所は移されて、自分以外のこの世の人たちが次々と死んでいき、私も共に皆と死に行きたくてそれを切に望んでも死が私から離れて逃げて行き、私はその世界から離れることはできませんでした。
そして世界は凄まじく廃墟されて、残っているわずかな者の精神も私の精神も破壊されていき、最後には一人となって身の毛のよだつ様な地獄の淵に立っていることもできず、そこにいる理由もわからず、ただ打ちひしがれているのです。
その冷たくて暗く、青黒い炭火で焼かれるような狂った世界、「狂気」以外には何もない。
言葉では足らず表現しきれませんが、私に映し出されるそのリアル過ぎるそのビジョンは、私のこれまでの生涯での経験や何よりも七年前の経験が全く役に立たちませんでした。
というのは経験や記憶を意識の中で引き出すことが出来ず、意識の深部に残された破滅と消失への恐れの部分がむき出しになって現れ、そこにすべての苦しみが集約されているかのようだったのです。
この心の景色は「今」その一瞬一瞬の時を全身全霊で闇の淵に生きているような、過去も未来も想い浮ぶことがないゆえに、時が断絶されたかのような無間地獄の景色だったのです。
つづく
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