日いずる国の経 5

この記事について

2009年と2016年に著者が体験した中有(冥府)の世界での出来事。宇宙と子宮の神秘に隠された死と再生の体験を記していきます。09年、16年に私が観たこの2つのビジョンは異なった視点で表現されますが、それらは全く同質の事柄になります。この記録を通じて読者の方に何か伝わるものがあれば幸いです。

 

 

第三章

花桃

 

 さて、それから3か月ほどして私は用務員の仕事の後に老人ホームの傾聴ボランティアを始めました。それは兄弟の二人と長く付き合いのある友人が、福祉関係の仕事をしていたことがきっかけでした。

 当時の私の福祉業界への移行の動機を説明すればきっといくらでも説明できると思いますが、何よりも何か新しく始めることが必要だったのかもしれません。

 そして私は、自身の希望として介護ヘルパーの資格を取るまでの一年間、転職をして障がい者支援施設でのアルバイトを始めました。
  一年間というのは地元の世田谷区で弟が勤める病院のヘルパーとして従事する事になっていたのですが、要資格が条件であったと言うのが理由でした。
 

 この理由に施設の当時の主任さんは「施設に残って長く仕事を続けてほしい気持ちはあるけど、きっとこれからはうちの施設でも高齢化や重度の利用者さんの受け入れ増員で、車椅子の移乗技術やおむつ介助の技術が今以上に必要になってくると思う、だからそういった技術を学べる所に行くのは良いことだと思うし、何より同じ福祉の仕事だから何処に行っても何処かで誰かが助かっているわけだし、また縁があれば障がい者支援施設で働くかもしれないから、だから陰ながら応援しているよ」と言って受け入れてくれる様な、とても暖かみのある家庭的な雰囲気を感じることのできる施設でした。

 この施設で一年間お世話になり、私は知的障がい、強度行動障がいを持つ方々の支援の経験をさせてもらったのです。

 

 その翌年、私は病院で正規職員として勤め始め、末期患者の方が主に療養されている病棟に配属されました。
 そしてこの病棟で東北出身の妻と出会ったのですが、彼女は梅干しを作ったり野草を調べたりするのが趣味で、近い将来に自然の豊かなところで昔の人のような生活をしたい、という思いを強く持っていました。私もそんな考えに興味と共感をもてたし、実際にそこから学べることが多くあったのです。

 この頃はIターンという言葉が世間的に知られ始め、過疎化の進む村へのlターン移住者が増えはじめていた頃だったと思います。
 私たちの間には子供を授かっていたので、子供の出産は田舎で迎えたいという想いから物件を探したのですが、役場を通じて長野県の山中にポツンとある古民家を借りることが出来ました。

 この家は山道にある駐車場に車を止め、さらに山の中を10分弱歩いた所にあったのですが、もちろん山の中には外灯はないため夜はランタンを灯して歩く必要があったのです。

 村では山の中の家を「出づくり」と言って、昔は夏になると山の家で田畑の仕事をし、冬は山を下りてふもとの家で生活をする。という二つの家をもつ習慣のある村だったのですが、私たちは村の他の空きや家を選ばずに、この山の家を借りることにしました。


 この家を紹介してくださった役場の方は、この村の冬は雪が凄く積もるしマイナス10度を超える事もあるので、地元の人でも冬は山に住まない。と言うことと、妻が妊娠していることをとても心配してくれましたが、私は自然のことに疎い都会育ちだったので、無知が故にこの家をお借りして住むことを決めたのです。

 移住したての当初の私は、畑の野菜の葉を見ても何の野菜かもわからないほどでしたし、薪を焚いたことも、割った事もありませんでしたが次第に山の生活にも馴染んできました。

 そしてその年の夏の明け方、妻に破水が起こったので薄明りの山道を歩いて下り、病院に向かい無事に娘が生まれたのです。

 彼女の名を当初は「ゆい」と決めていたのですが、役場に届け出に行くと名前に当てていた漢字が使えない、とのまさかの指摘を受けてしまい、考え直すこととなりました。
 そして浄土の装飾品である瑠璃宝から名をいただいて瑠璃と名付け、私達は家族三人の生活になったのです。

 冬になると長野での寒さは厳しく、山の水が凍結するのは日常で、駐車場から家までは山道が凍結しているのでアイゼンを履いての登り下り、駐車場までの除雪、クマがいたり、カメムシが異常にいたり、山奥の中で生活するには大変なことも沢山ありましたが、ここでの生活はそれらの苦労を上回る豊かさがあって、山の美味しい湧き水や寒暖差の強い高所で育った美味しい野菜、五右衛門風呂に薪ストーブのある生活は素晴らしく、お金はなく大変素朴で質素な生活でしたがとても幸せに暮していました。

 

 山で生活を始めて早3年が過ぎたころ、私たちの予想のしていなかった問題が出てきました。それはこの私たちの住む山の下に、リニアモーターカーの地下線路を通す計画が進んでいて、掘削後の残土をとなりの山に捨て、この山周辺の山道はたくさんのダンプカーが何年も走り続けることになると・・・この計画はこの時には既にほぼ決定されており、住民説明会なども行われていました。

 まさかの予想外の出来ごとに私たちは困惑しましたが、もともとの目的である自然の豊かな中で暮らし、子供を育てたいという想いと環境を考えると、村の方々にも大変お世話になっていましたが、一年ほどかけて考えたのちに、この場所を離れるという決断をしました。  

 そしてその後の2016年に私たちは私の父親の故郷である伊豆半島に移住することになったのです。


この後に再び強烈な神秘的な体験が起こり、神が私の内からご出現されます。

                    
                       

                           つづく

 

 

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