日いずる国の経から紐とく 十地品とノアの方舟

 

 

紐解き3

 

 

十地品とノアの方舟

 

 日いずる国の経・9に記された巨大な龍(婆素鶏)の光景と「もう戻れない」という祝福と共に喪失にも似たその心の情景は、心の十の階梯として十牛図や大乗仏教・華厳経十地品の十の意識層に相応するかのような情景が映し出されます。

 本項は少し難解になりますが、大乗仏教・華厳経の十地品の階梯に照らし合わせるようにして記していきますが、これによって母の胎内での十月十日で養われて形成される胎蔵の智慧ように、読者の方がこの記事に目を通されることで利益があれば幸いです。

 華厳経にある十地品とは、目覚めの階梯として現れてくる光景を十の階梯で表しています。

 この十地品は菩薩の五十二位という菩薩から仏までの階梯を五十二位で表した、41位から50位まで位の中にあてはめることが出来ます。 

 その最上位の第十地である法雲地(菩薩の52位では50位)の色界最上天である色究竟天の上では大自在天が教えを説いているといわれ、その上にある菩薩の51位では弥勒の境地でもある等覚、52位を妙覚という仏の境地が示されています。

 そして十地品では先に取り上げたように第七地の『遠く離れた地』を意味する意識相があり、この第七の地ではそれ以前の第六地と、以後の第八地の境界のような特殊な無想の処であるとされています。 

 第六のヴィジョンでは「戻らない」という不退転の意を決し、第七のヴィジョンの遠行地では果たされる不還の境涯を暗示されています。

 第六の情景は日本人であればイメージしやすい三途の川のような、西洋ではノアの方舟のような水にまつわる情景が映ります。この処では『6』に象徴される三途の川を渡るための瞑銭、六文銭や旧約聖書ノアの方舟の完成時のノアの年齢六百歳、方舟の寸法は根底に60という数が置かれ暗示されます。

 この第六のヴィジョンでは、この場を通る者の心に潜む、過ぎ去ったヤマ(夜魔)が露になる第四の地で守護される閻魔大王の焔慧の炎の面影と、天魔波旬やリリス、裏切りの比喩として真っ逆様に無間地獄の淵に落ち行く提婆達多やイスカリオテのユダを象徴する存在が見え隠れしており、それに対峙して素戔嗚尊の変化神、牛頭天王がこの地を過ぎ去る私たちの心と祇園精舎を守護しておられますが、この地以上は不浄というエゴ、穢れを受け付けない為に、この地で穢れを流して川を渡る様に第七の地へ向かうのです。

 しかし第七地には下にあの第六地の水に象徴される禊祓いの因縁を備え、上には穢れのない清浄な浄土である不動の第八地があり、苦と喜の狭間から遠く離れた頂で空性に沈み傾くという、この喩えを旧約聖書から借りれば、「この世の全てが空の空、空しい」というコヘレトの言葉、インド神話ではヨーガ・ヴァーシシュタにみるラーマ王の失意にも似た虚無的な背景をもって空理の陥穽に陥るという、祝福された個人意識からの解放、空観と共に『七地沈空の難』があると記されていますが、「この時十方の諸仏が七種の法で勧め励ますので再び修行の勇気をふるいおこして、第八地に進む」と伝えられています。

 

 第八の地の『不動地』からは十二の理を観て縁覚として浄土に往生し、その第八地から第十地まではこの世、物質世界と言う写し世で見れば、過去に失われた国土の比喩としてムー大陸のような光景に結び付けられるのかもしれません。

 そして第十地では大自在天が御座します天部で十地品の記すところ、『智慧波羅蜜を成就して修惑を断じ、無辺の功徳を具足して無辺の功徳水を出生して虚空を大雲で覆い清浄の衆水を出だすためにいう。平等の原理と差別の人間とが一体となった、平等即差別、差別即平等の真如の世界』という境地で私たちはその祝福と恩寵のもと住生するといわれています。

 これまでこの十地品は探究者たちの間では、第一地から第七地までと第八地から第十地との間には大きな違いがあると言われてきました。これは中有と子宮の神秘に隠された『十』に暗示される事象が十地品では、一地から十地までの表す景色の中で、上昇という観点からみれば一地から六地までに残されていた不浄が八地までの間に途絶え、下降の観点からみれば十地から七地まで観られなかった穢れが六地から下の地に現れているという事になります。

 意識の揺らぎからはじまった世界の下降のプロセスと、意識の揺らぎ以前に戻るように上昇するプロセスとの二つの現われを、第三の視点で中間的に観照するという三位一体の視点で冥府の世界を照らす書であるヨハネの黙示録等にみられる終末的な書物とはまた少し違った表現をもつ十地品は柔らかで抽象的な喩えで表現され記されています。

 これらの書物の意図とは、遅かれ早かれすべての心に訪れる中間的世界で露となる「とおりゃんせ」の童歌にあるように、造化三神、五柱、神世七代までの浄土国、『七五三』の数靈のうちにある光明の領域より下降しながら四方八方に広がりゆく、六道に流転する私たちの心が神国に再び統合するためのその細道に明かりを灯して、大難を小難、無難へと智慧によって降りかかる難を軽減させることへの願いにあるのです。