日いずる国の経 2

 

 

 





この記事について

2009年と2016年に著者が体験した中有(冥府)の世界での出来事。宇宙と子宮の神秘に隠された死と再生の体験を記していきます。09年、16年に私が観たこの2つのビジョンは異なった視点で表現されますが、それらは全く同質の事柄になります。この記録を通じて読者の方に何か伝わるものがあれば幸いです。



第一章

初めなければ 終わりなし その2 

 
 それから6か月ほど過ぎた11月頃には、意識に備わる男性性のエネルギーや女性性のエネルギーのこと、プラーナやクンダリーニの研究と理解は私なりに進みました。しかしこの時、ヨーガの密議のオモテの側である顕教的な側面には目を向けることはなく、ある意味チャクラ瞑想やクンダリーニは性的悦楽を伴うヨーガである側面もあるため、もともと非常に揺らぎやすい私はもっぱらそちらの瞑想ばかりに傾いていました。

 そしてそんな11月末のある日の夜、就寝前にチャクラを観相する瞑想を行っていましたが、骨盤底のチャクラ、ムラーダーラーがガタガタと自然に反応し始め、この日は普段より力強いエネルギーが下腹部、丹田でとぐろを巻いて蛇が旋回するかのように上昇し始めました。蛇と表現されるクンダリーニは強い快楽を伴いながら駆け上がり、眉間のアージュニャ、そして頭頂のサハスラーラを駆け登るその時、目の前が真っ白になったのです。

 そしてしばらくして私はその後、夜も遅かったので床に入り眠りにつきました。                   
 

      
 第二章

 無垢の輝き


 朝目が覚めると、なぜか世界が輝いているのに気が付きました。本やテーブルやカーテン、あらゆる物がきらきらと輝いていたのです。
 私の部屋は普段と変わりはないにも関わらず、目に映る物は総て調和されているように見え、私は刷新された新たな世界というか、その輝く美しい風景をただ見つめていました。
 ふと本棚に目を向けると、以前駅前でキリスト教系の団体が聖書を無料配布していた時に手わたされた、新約聖書がひときわ注意をひいているようでした。私はこのもらった新約聖書をそれまで読んだことはなく、ただ本棚に置いていただけで関心はあまりなかったのですが、この時は不思議と親近感のようなものを覚えたのでした。
 私はこのまま、この部屋でこのきらきら輝く何とも表現しがたい、何事も欠けるもののない至福に満ちたこの部屋で過ごしていたかったのですが、その日は仕事があるので仕事に向かいました。                 
 
 そして外に出ると、このとき11月の末でだいぶ寒くなっていましたが、目覚めてから続いているこの幸福感は春のようで、外へ出てもその感性は揺らぐことはなく、私の身体の重力的な負担は気づけばほとんどなかったので、まるで雲の上を歩いているかのようでした。

 午前中の仕事は、秋の幼稚園の焼き芋行事で使うための落ち葉を園庭で集めていましたが、身体を動かしていると、自分の氣流の流れを視覚で感じるような感覚、と言えばいいのかわかりませんが、一つ一つの微妙な身体の動きに対するエネルギーの流れと、身体を動かしながらあたる緩やかな秋の風の流れは調和して、一体となっていることに氣付いたのです。

 そしてこの暖かみの富んだ輝く世界は翌日には徐々に水のようで、青く冷たい景色へと変化していくのでした。

    

 

青く冷たいほど澄んだ世界


 この青く冷たい水の世界の『冷たい』は、寒さの冷たさではなく、青色が澄み過ぎて冷たさを感じてしまうのです。
 
 そして翌日の仕事では自分と同じような周波数と言うか、想いによる共感とは違い、曖昧な言い方ですが波長が共鳴し合えるような人が学園内にどこにも見当たらなく、感覚的には同じ世界を共有しながら同じ世界を共有していない。
 ふと学園内にある樹木に目を向けると、自分が唯一共鳴できるのは植物だけであるように感じました。
 私はこの青く冷たく、そして静けさの広がるその世界に不安や恐れを感じず、ただ驚きと共になぜだかこの時に安心感を抱いたことを覚えています。

 私はもはや違う世界にいつの間にか入ってしまったようですが、あの幸福感は続き、私の心は満たされていたので孤独を感じることはなく、この新しい発見と世界にただただ魅了されていたのです。
 そして何もせずとも、それはヴェールが落ちたかのように、今まで私が気づいていなかった知恵のようなもの、見えていなかった情報の様なものが自然に頭に流れ込んでくるような感覚が現れ、そのことによって次第に気が付けば私は得意げになりはじめていたのです。

    

 

灰の匂い


 この出来事を兄や弟に話しましたが、私をよく知る兄弟なので何か普段とは違う雰囲気を感じとり、最初は半信半疑の様でしたが、次第に私の話を信じて聞いてくれたのです。
 そしてちょうどあの目覚めと共にあった輝く日から一週間がたったころ、すっかり私は以前の苦悩していた頃の自分を忘れ、新たな知識に得意げになり、その高揚も積もって次第に興奮しはじめていることに気づきました。
 その日の夜、部屋で兄とこの不思議な世界感について話していたのですが、言葉が止まらずに話し続ける私に兄も何か異変を感じとり、私もしゃべり続ける自分に違和感というか危機的な何かを感じていたので、そのことを兄に伝えたのでした。

 私はその時はじめて、あの輝いていた日以降に恐れを自覚し始めましたが、時はすでに手遅れのようでした。
 時間は深夜0時を越えたあたりだったと思いますが、ただならぬ高揚と同時に共に強い恐れを感じていたため、兄にもしこれで自分がこのまま話続けて狂い出し、死んでしまうようなことがあったとしても、それは進めてくれた本や瞑想のせいではなく、ただ自分自身の不徳が招いただけである。
 という趣旨の言葉を伝えていましたがその話しの最中に、頭の頭頂部がじりじりと熱くなり、次第にマグマのようなその赤黒い炎はゆっくりと滴れるように私の頭から体の中に流れてくるのがわかり、それを観ている兄もなにか通常ではない事が私に起きていることを感じ取りました。

 自体は一刻と変化し、言いようのない恐怖を感じながら身体に廻っていく熱の行方を、ただただ追うことしか出来ずにいると、その熱は次第に微細な針のようになり、感覚的には千の数に細分化されて身体中を廻り始めたのです。
 火のような熱さの中に鋭利な冷たさも感じるその針は、意思をもって心臓に向かっているかのようでした。針が心臓に到達することを恐れ、その針が氣流の流れに乗って心臓に到達しないようにするために、椅子に座っていることができずに身体を動かさざる得なくなったのですが、その時の動きはまるでタイの伝統舞踊のようでだったのです。

 そうしているうちに今度は、体が焦げるような匂いがしはじめるのと同時に、無性に体に灰を塗りたくりたいという衝動に駆られ、そして細くなりだした私の意識の中では暗くて小さく、狭い洞窟で無数にある屍らしきものと共にある、私の姿をしていない私が映り出されていたのでした。

 体力の消耗と時が経つにつれて、駆けめぐっていた針の勢いが徐々に弱くなりはじめると悪寒が走りだし、布団を敷いて横になったのですが、毛布を掛けても高熱時の悪寒の様にいくら掛け布団をかけてもほとんど体が温まることはありませんでした。この時すでに深夜3時をまわっていました。
 
 兄も私も病院では適切な対応ができないであろうと思っていたため、兄はインターネットでこのような瞑想についての事例や経験者、神社寺院などをくまなく明け方まで調べてくれました。そして弟も明け方に家に駆けつけてくれたのですが、私の様子と兄の様子をみて困惑したのでした。

 

 

                                                                                    つづく

         

 

 

 

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