日いずる国の経 1

 

  このブログについて

2009年と2016年に著者が体験した中有(冥府)の世界での出来事。宇宙と子宮の神秘に隠された死と再生の体験を記していきます。09年、16年に私が観たこの2つのビジョンは異なった視点で表現されますが、それらは全く同質の事柄になります。この記録を通じて読者の方に何か伝わるものがあれば幸いです。

 

 

  第一章

  初めなければ  終わりなし

 

 私はいま、これまでに私の心に起こった不可思議な体験を記そうとふと思い立ったので出来る限りここに記すことにしました。
 私は今まで自身に起こったこの体験を話すことは極力、意識的にさけてきました。
 なぜならこの出来事は現実といわれるこの世界ではおそらく一部の方々にしか好まれないと感じていたし、何より本来なら師から口伝によって受け継がれているこの密教要素の強い話を進んで話すことや記す気が全く起こらなかったのです。

 しかし、なぜ今になってこの事を書き記そうということが起きたのかは正直なところ不明であるというのが率直な表現だと思いますが、あえて理由を上げようと努めれば、これから書き記す2009年と後の2016年に起こった冥府の世界、中有や黄泉ともいわれる世の体験から8年が経過したこともあって今が適切な時なのかもしれませんし、私がこれまで感じ取ってきた多くの喜びや、たくさんの悲しみのあるこの世界にとどまろうとする力が、今となっては自然となくなってきたように感じているからかもしれません。
 こう言うと私が命を絶とうとしているのかとご心配されるかもしれませんが、そうではなく「初めから生まれてもいないので、死は訪れない」というこの不二一元論者によく聞くこの理解が私自身に浸透してきたため、というのが実際のところです。

 そんな経緯で私が自身の体験を書き記すきっかけとなる明確な出来事が起こったのは、2009年に私自身に起こった瞑想体験から始まりました。始まったと言っても勿論はじまる前にもいろいろと予兆もあったのですが、振り返ってみれば私のそれまでの生涯はとても胸をはれるものでは無く、むしろ痛ましく情けないほどでしたが、その辺りも踏まえてから時を遡ろうと思います。

 2009年以前の私は20代前半では絵画や音楽が好きな人物でしたが、仕事もお金にも非常にだらしのない、高い煩悩にまみれた凡人であった為に、ふしだらな生活を送り続け、母親や兄弟にも友人たちにも多大に迷惑をかけて生きてきました。
 そんな職を転々とし、無責任な弟であるこの私を兄は見捨てずに一時期私と共に住みながら、目を向け見守ってくれていたのです。
 兄は当時ロックバンドを(弟と共に)結成して、少々本も読んでいたのですが、彼の当時の小さな本棚にはアレックス・グレイの画集やウィリアム・ブレイクの詩と並んで町田康中島らも攻殻機動隊などの本が並んでいたことを今、思いだして懐かしく感じます。

 そんな兄がわたしに初めて「この辺りの本でも読むと良いよ」と、当時の日本でも今でも超アンダーグラウンドな本であると言ったら失礼かもしれませんが、ロバート・A・F・サーマン教授の「現代人のための チベット死者の書」を進めてくれたのです

 これは当時の私の破滅的な生き方も、多少はマシになりかけていた頃の29歳辺りのことだったと記憶しています。
 けれどもなぜだかその時、そのチベット画の美しい観音菩薩の本の表紙を目にし、「こう言った本は本当の事が書いてあるから、もう少し後に読もうと思う」と勝手に?自然に?口から言葉が出たのでその時は、自分自身に理由の知れない違和感が心に沸き起こったので、このことは後にも頭の片隅にどこか残っていたのです。

 そんな経緯があった後でしょうか、私はそれまで漫画はたまに読みましたが、文字のみの書籍が苦手で読書をほとんどすることのない人間でした。
 それが図書館に通うようになり、賢いふりをしたかったのか、女性にモテたかったのかはわかりませんが、絵画や哲学書に目を向け、時には難解なスピノザなんかを手に取ったりしていましたが、小学校の2年生で勉強に見切りをつけて諦めてしまい、図工と体育にしか興味を持てなかった私にこの本は当時さっぱり意味がわかりませんでした。
 けれどいつも適当な行動を、直観だと聴き映えのいいように言って行動してきた私にとっては、これも必要な事だったのかもしれません。

 それからぱらぱらと図書館に通ったのですが、ふとチベット死者の書のことを思い出して、兄から進めてもらった翌年の6月に、改めて死者の書を手にとって読んでみることにしました。
 私は当時、幼少中高大一貫の学園で幼稚園の用務員の仕事をしていて、仕事も程よく安定していました。特に不満もなく続けていられたので時期的にもちょうど適切な頃だったのかもしれません。

 そしてチベット死者の書を読み始めましたが、その書物には人体を巡る氣流やナーディ、クンダリーニヨーガのことを、危険性がない程度に紹介として記され、そして後半部には「自然に解脱する書」という、日本でも四十九日法要で知られる中有の世界を、さらに具体的で詳細な描写で記されたお経が掲載されていました。
 私はバルドと言われるその冥府の世界には全く関心が向かずに、チャクラやプラーナなどのヨーガにもっぱら関心を注ぎました。

 当時の職場の昼休みが個室で、一人静かな部屋で過ごせたということもあり、軽い気持ちでなんの予備的な瞑想知識もありませんでしたが、昼の休憩時間に少し休んでから20分程の時間を瞑想にあてることにしたのです。

 そして始めてすぐに、瞑想という行為に親近感を感じ、なんだかこのこと(プラーナやチャクラのこと)は知っているという根拠のない思いが浮かんできました。
 昼の瞑想をはじめて3日目、椅子に腰を掛けて目を瞑って静かにしていると、突然果てしなく広大で、暗く深淵な空間が広がると同時に、自分の身体がシャボン玉のように無音で消失するのを見届けている、意識そのものであるという体験が起こり、その後チャクラの観想も始めましたが私にはヨーガを指導してくれる師がいないが為、何が危険なのかも理解しておらず、その後に訪れる危険性を認識することのないままに得意げになって楽しみながら、子供が遊ぶかのように真剣に遊んでいたのです。

                                                       つづく

 

 

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