日いずる国の経 6

この記事について

2009年と2016年に著者が体験した中有(冥府)の世界での出来事。宇宙と子宮の神秘に隠された死と再生の体験を記していきます。09年、16年に私が観たこの2つのビジョンは異なった視点で表現されますが、それらは全く同質の事柄になります。この記録を通じて読者の方に何か伝わるものがあれば幸いです。

 

 

第四章

いづの

 

 冬の終わり頃、伊豆の地に引っ越しましたが、伊豆ではもうこの時、一足早く河津桜が咲いていました。子供の頃、夏休みになると必ずこの伊豆の父の実家に来ては海に入り、釣りをして遊び、魚や貝を食べて楽しかった思い出の詰まった場所でした。

 そんな伊豆での生活に慣れはじめて、娘が保育園に通うようになり、私は介護の仕事をしながら畑を借り、野菜作りをしていたのでした。
 そして夏のある日、畑仕事をしている最中に注意不足で自分の左手人差し指を鎌で切ってしまい、7針ほど縫うことになったのでした。

 この怪我自体はたいした事ではないですが、この出来事に私は密かな戸惑いを感じていました。自分でいうのもなんですが、子供のころから運動が好きな方で、反射神経も悪くはないと思っていたのと、山の生活では多少危険な事があっても生活のために少々の無理も行いましたが、このような類の怪我をすることはなかったのです。

 注意不足や感覚の衰えと言ってしまえばそれまでかも知れませんが、なにより私自身の直観があの、三日月の様な鎌と一指し指の痛みを観て、何かに覚めるような気がしたのです。
 それは7年前に兄が進めてくれたチベット死者の書のやり取りの時に似たような、鈍く思い出すような感覚でした。
 あのときの「こう言った本には本当の事が書いてあるからもう少し後にしたい」と言ったときに感じた、違和感に似た予感だったのです。
 

月の兎と駱駝の針孔

 

 これをきっかけに自身の探究を再び強めていく必要を感じ「私は何者なのか?私は誰か?」という主題に注意を注ぎ始めました。
 その頃私は少々の聖典や経典などをたまに目を向けるほどでしたが、このときOshoの存在を知って、その奥深さに非常に興味を感じるようにもなりました。

 そして10月からは何も意図せず、あるがままに心の想いを眺める事に集中し、11月には想いが過ぎたあとの空白地点、日本では「間」と言えばわかりやすいと思いますが、この「間」に注意深く意識を向け、それは何を行っている時にも続けました。

 11月のある夜の日に「私とは誰か?」という探究を続けながら、娘が当時大好きだったドキンちゃんの妹コキンちゃんの話を娘としている時だったと思いますが、ふと『私は、個人=全体である総て、という真実を観照する気付きである』ことに対しての自身の内にあるその隔たりが、突然なくなり合致したような閃きを感じたのです。

 そして閃きの余韻を感じながら就寝の時間になったので、いつも通り北に頭を向け床に入りましたが、その後も意識を眺め続けていると暗闇の中に小さな針の孔のような光の点が観えてきました。
 その点は次第に「私に向かって」なのか「私が向かって」なのかは定かではありませんでしたが点は徐々にゆっくりとに近づき、うさぎが月を眺め、そして月に飛び込んだかのように私の意識はその点に溶け去りました。

 そして私は夢を見ることなく朝目覚めると、再び七年前に似た、あの輝きと春の感覚があることに直ぐに気づきました。

 娘と外に出ると晩秋でしたが心は春のような清々しく、暖かい雰囲気に包まれていて、山や空を見渡すと私の意識はどこまでも拡大していき、私が感じ得ることのできる総て、宇宙の果てまでも私そのものであるという感性と同時に「存在性を有していると感じていれば必ず終わりが来る」という想いが生じていました。
 そしてその想いの背後には「非存在性」の予感、終わりの気配が漂っており、それは7年前のあの時の経験から感得していたものが紛れなくそう感じさせていたのです。

 その日の夜、私が感じていることを妻に話し、おそらくこれから7日後か7か月後かは断定できないけれど、近いうちに死にまつわる何かが自分に起きるかもしれないということを伝えました。

 そしてこの日から7日後の20時頃、居間で家族3人過ごしている時に突然ふと自分がこの世から消えた事を理解しました。

その時、私は自然に「あ、死んだ」とポツリと小さく声が出たのです。

 

                               つづく

 

 

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