日いずる国の経 7

 この記事について

2009年と2016年に著者が体験した中有(冥府)の世界での出来事。宇宙と子宮の神秘に隠された死と再生の体験を記していきます。09年、16年に私が観たこの2つのビジョンは異なった視点で表現されますが、それらは全く同質の事柄になります。この記録を通じて読者の方に何か伝わるものがあれば幸いです。

 

第四章

別かつ神

 

 そう感じた直後、私の胸の辺りの高さ、目前の向かい右側から無数の数え切れないほどの微細な、一人一人表情の異なる祝福された赤子の頃の娘、瑠璃が白い色彩を纏って幾人にもなって刹那に誕生してくるのです。

 その無数の子達は、目前から喜びに満ちて右側後方の私の背後に流れるようにして消え去り、同時に私の左後方の背後からは、赤黒くなって擦り切れるかのように苦悶している幾人もの私の子が、無惨にも左側後方から前方へと死へ向かって刹那に滅し消えていく。

 私はこの現れたビジョンに強いショックを受けました。

 右側を通る我が子は受け入れられるのですが、左側を通る我が子を反射的に拒否してしまい受け入れることが出来ずに心の目を背けてしまうのです。

 この無限とも思えるような、来ては去っていく刹那無常の命の景色はたしかにこの小さな家の居間で起こっている。しかしそれと同時に、この生成と消滅の無限とも思えるその働きは明らかに真に宇宙で起こっているのでした。

 そしてあの生命の働き、円環の中心にある輝ける至高の神である観察者プルシャはただ臨在されている。

 この総ての生命を司る神に私は驚きをもって眺め、また再びあの生命の流れに目を向けると、あの数え切れないほどの総ての生命の実体は宇宙の砂、銀河に渦巻く無数の石の様であり、この石に私たちの自らの心、想いを映し出すことによってその生命は生命と成って顕れているのでした。

 このビジョンが私に起こったのはほんの数分の出来ごとでしたが、そのビジョンが消えていくと、今から家族を置いて直ちに家を出るよう内側に声がこだまし、私の体は観えない何かの力に引っ張られるようにして居間から離れ、別室に入りました。

 そして私はとても強く切迫した圧力を感じている中、ふと部屋の角、北東の方角に目を向けると高山が映り出され聖人が二人、高い所と低い所に阿吽の呼吸を合わせてそれぞれ立っていたのです。

 聖人はその姿を私が認識すると、高山と共にそのビジョンは過ぎ去っていったのでした。

 

 

つづく

 

 

 

 

 

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